ゼロ・グラビティー 意味 映画解説

神の話

神と言ってもそんなものは存在しない。そんな存在しないものの話をどうやってすればいいのだろうか。
そもそもなぜ神の話をここでしなければならないのか。
ゼロ・グラビティには各所で宗教的な偶像のカットを入れている。案外アクションに気をとられていたりして全く記憶に残っていない人もいるかもしれない。この辺りについては素晴らしい考察が成されているhttp://k-onodera.net/?p=1118を一読されれば凡そこの映画をカメラワークやCGの『凄さ』だけで捉えてしまうと真に込められた意図が掴めなくなってしまうことがわかるだろう。私には下地がないので素晴らしいと言えるような考察はできないが、おこがましくも少し書かせてもらいたい。
宇宙→天国、という筋があると冒頭で書いた。これとてあくまでも私見であって感じ方は各々あるだが、ではここでの神とはなんだろうか、ともうひとつ飛躍してみたい。
私の考えでは

重力=神

の伏線があると一番しっくり来ると思っている。神というと唯一であり、人格化されていたり、多神教があったり色々な解釈があるだろうが、ここではキリスト教の聖霊としての神を対重力として考えている。
キリスト教カソリックの口グセに、

父と子と聖霊の御名において……

という文句がある。誰でも一度はどこかで聞いたことがあるだろう。父は創造主であって、子というのがイエス・キリスト、聖霊というのが人智の及ばない力、つまり雷や地震などの現象を指す。ならば重力という力も聖霊として考えられてもいい。本当のとこは餅屋に聞いてみてほしいが、この場では細かいことは気にしない。単純に問題は、重力=神という図式がこのストーリーにしっくり来るかどうかだけだ。
もし宇宙を天国とするような考え方が人間のどこかにあるのではないか、という仮説が正しければ、このグラビティの中での宇宙というものは果たして天国を描いたものに見えるだろうか。『死んだおじいちゃんはお星さまになったの』だとかの古くさいセリフを聞くとき、華氏0℃の漆黒や激しく爆発する超新星と放たれ続ける宇宙線など、過酷な世界を思い浮かべる人は少ないだろう。宇宙とはゼロ・グラビティで描かれたように恐ろしい世界なのだ。では我々の心象の中にある天国というのは一体どこにあるのだろうか?そんな無理矢理な疑問にもゼロ・グラビティは、地球にそれはあったのだ、という単純な答えを用意してくれているように感じる。

それは地球にある、これもまだ感心に至るほどの筋書きではない。だが、一度は諦めかけた帰還を、ライアン・ストーン博士が地球の重力に引き寄せられていくように決意していく展開には感心しないわけにはいかない。祈りなんてしたこともないライアンが、逆境のなかで天国を信じはじめ、マットに伝言を頼むなんて、困ったときの神頼みも甚だしいが、これでいいのだと私は思う。神がいなくても、いても、いると信じることが重要なことだからだ。それを、いくつもの死と危険が次々に目の前で起こっていくなかで生きるチャンスをマットから与えてもらったライアンは知っていったのだと思う。そうであれば
凄い旅だったのよ
というセリフは悟れたことにかかっているはずだ。神舟というロシアからソユーズを買い上げて中国がつけた名前だろう、その神の舟がライアンを救い、どこの川だろう、マットが呟いた美しいガンジス川の始流だとかいうことはあるのだろうか。
その悟りに聖霊が応えるかのようにしてライアンを引き戻していくそのストーリーの仕立てはちょっと出来すぎで気味が悪いほど、完璧だ。

ラストの彼女が重力を感じながら立ち上がるシーンは極めて印象的だが、その感動の大きさとは対照的に、動作は単にがんばって立ち上がっているというだけのシンプルなものだ。ここだけだったら私がときどき部屋の真ん中で銃で撃たれたフリをし、ガッツでなんとか立ち上がるヒーローを真似る一人遊びの方が迫真の演技と言えるだろう。だがサンドラ・ブロックの方が遥かに感動的なのはやはり、人類のいるべき場所、当たり前の地球に帰還した、というストーリーがあったからだ。しかも映画を通して延々と無重力が描かれている末の重力だ。日常では見えもしない当たり前のこの偉大な力にハっと気がつかされるこの瞬間には恐らく神というか自然界ではあり得ないような力が心や脳や精神に発生しているのだろう。重力に恩恵を向けさせるなんて、なんてシンプルなんだ!とまた部屋の真ん中でサンドラ・ブロックを真似て立ち上がるシーンをやったりする。

突き詰めていくと、重力がなければこの地球はないわけだし、重力が宇宙を構成する重要な力であることは素人の私でもわかる。太陽の周りを回る地球や水星や冥王星などなどは、太陽の重力によって引き寄せられているおかげで安定して周回していられるのだ。宇宙に於いて安定も不安定もないだろうが、我々からの視点で言えば、この地球も周回から外れてしまえば、マット・ コワルスキーのように二度と戻ることはできず、太陽の光が届かなくなったとたん、あっという間に凍りついて暗闇だけの世界になってしまうだろう。
いや、本筋は地球の重力の話だった。地球の重力があるおかげで、月が回り、月自体の重力が潮の満ち引きをもたらしてくれている。あらゆる要因が奇跡的に重なって今の地球があり、人がいる。そんなことはわかっちゃいるけど、戦争を知らない私に戦争の恐ろしさを理解しろと言われても真にわかり得ないのと同じく、宇宙の恐ろしさと重力への恩恵なんていうのは私にはわかりっこない。しかし映画というのは物を語らず、物を見せて教えてくれる。なぜ私が映画に引き寄せられるのかも謎だらけだが、そこには人が神と呼びがちな、何らかの引力があるに違いない。

2 Replies to “ゼロ・グラビティー 意味 映画解説”

  1. 初めまして。映画ランナーというブログで好き勝手に映画レビューを書いている者です。

    『』ゼロ・グラビティ』のレビューをお褒め頂き、誠にありがとうございます。本人の知らないところでこのように言って頂けたことに正直ビックリしております。

    大変嬉しかったです。

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